こんにちは。MTKです。
今回は恥ずかしながら、自分自身についてお話していきたいと思います。
なぜ私が、過去をさらけ出そうと思ったかというと、「世の中には情報が溢れすぎている」。
読解力がある方は問題ないかもしれないですが、大体の人がどの情報を信じればいいか分からなくなっています。
私も事業を始めるときは、すべてが本当のようで、嘘のように思っていました。
でも、このサイトに訪問してくれたあなたには、私のすべてを公開し、信頼して欲しい。そして、勇気を出してもらえればと思ったからです。
決して胸を張れるほどの経歴はありません。でもそんな人間でも起業できるのであれば、「自分も!」と手を挙げてくれる。人が増えてもっと活気のある世の中になるのではないかと思います。
興味ない方はすぐ >戻る を押してください。(泣)
幼少期のMTK社長
私は、母とボスの20歳差の激しい愛のがあり、福岡で生まれ、育ちました。
なぜ私が、「父」のことを「ボス」と呼ぶかというと、社長をしていた父は従業員から「ボス」と呼ばれており、子供たちも自然にそう呼ぶようになったから。
家族構成
母 ☛ 地元では有名な美人母
父 ☛ あだ名はボス 自営業を営む
長女 ☛ しっかりした姉・母を支えてくれている
次女 ☛
私 ☛
我が家はボスのおかげで何不自由なく生活をさせてもらっていました。
保育園の頃から、スポーツ系の習い事をたくさん。ほとんど毎日が習い事でした。
水泳や空手、ソフトボールなどなど。好きとか嫌いとかではなく、予定を立てたら遂行することに重視していたこともだった。
おかげ様で、勉強の成績は下から数えた方が良いレベル。でもモテてたからいいか。あの時が今のところ1番のモテ期。
(もう少ししたらこれ以上のモテ期が来る予定。予定はあくまでも予定。)
中学に上がり、部活は3年間サッカー部に所属した。
ソフトボール部を選びたかったけど、坊主にしたくないから辞めました。(笑)
サッカーを選んだ理由?それは、単純にモテそう。それだけです。
3年間の部活を通して気づいたことは「私はチームプレーがとにかく嫌いだ」ということ。
当時は凄く周りには迷惑かけたと思う。すみませんでした。
この時どんな人間になりたいか何も決まっていなかったが、母の意向で高校へ進学!
けど、遊び惚けて1年で中退してしまう。そしてアルバイト三昧。ただ続かない・・・
そんなフラフラ生活をしていた時、両親の離婚してしまった。
気づいた時には、母と姉はいなくなっていた。きっと自分も原因だったのかな?詳しくは今でも聞けていない。
その頃からか、悲しさと、苛立ちで自分をコントロールできなくなっていった。
地元の暴走族に入り、仲間たちと楽しいことしかしない生活。
こんな毎日がずっと続けばいいのにな~と思っていたが、そうともいかず、、
色々なこと(ご想像通りです)があったが、最終的には「就職」をすることになった。
だけど、週末の遊びが楽しくなり、何度も転職を繰り返した。
18歳、1回目の挑戦
そんな私も18歳になっていた。いつものように気のあう親友と話していた時に、「地元を離れて色々な経験をしたいな!」という話で熱く語り合ったことがある。(実はこの親友、現在はとても近い距離で一緒に仕事をしている。)
この頃からか、地元を離れたいなと思っていた。
そして、僕は、地元を離れてモデルになることにした。だってモテるから。(笑)昔から動く原動力はいつも同じ。
レッドカーペットの上をランウェイしてみたい!そんな思いで、家を飛び出した!
この時は凄くワクワクで、楽しみしかなかった。着いた場所は・・・東京だ!!
当時19歳の僕は、家を借りることが出来なかったので、1人四畳半のルームシェアに住むことになる。
ここから成り上がるストーリーを立てたものの熱い気持ちは続かず、1年間で帰る結果になる。
上京して学んだことは、 ”行動” する力も大事だが、 ”計画性” も同じくらい大事だということ。
僕は、ゴールは描けても、ゴールに向かうための計画性に欠けていた。
20歳、2回目の挑戦
成人になり、就職したが、あの時の熱い気持ちが蘇る。
言葉で上手く表現出来ないけど、なんか心の中の自分が騒いでいたんだと思う。
そして、目指した場所は、北海道!夜職のニュークラブのクラブで店長を目指そうと思い、上京した!
キラキラした内装に、キラキラした女性たちが沢山いた。
僕もキラキラした生活になれると思い、入社1年目で、100名程従業員がいる黒服部門の中から「新人王」を獲得した!
この時は、嬉しくて、自慢したくて、やっと初めて親孝行出来ると思って、母親にも連絡してみた!
なん年か振りの連絡だった。
返って来た返信が、「なんかわからないけど、ホスト?ホストのNo.1おめでとう」って来た。
ちょっと違うけど、、(笑)違う土地で頑張っている息子の話を聞いて、母親が喜んでくれたことが一番嬉しかった。
ある日、久しぶりに親友に電話してみた。今の現状の報告だったり黒服の仕事ってイメージと違って楽しいなどを僕は話した。
親友は「起業」していて、「仲間を集めて自分で稼ぐってまじ楽しい!」と話してた。
僕は起業って言葉を初めて知り、たくさんの話をきいた。そして電話を切った後、もう1人の僕が反応したのだ!
気づいたら一日中、起業について調べていた。
私も自分で起業して、一回きりの人生「大事仲間と夢に向かって、沢山稼いでキラキラした生活を過ごしたい!」と強く思った。
その後、ニュークラブを辞めて、友人と起業したのだ!
23歳、三回目の挑戦【MTK社長の誕生】
ここからがMTKストーリーの始まり。
思い描いたキラキラした生活とは、裏腹な壮大な人生の始まりになる。
1番最初の起業は「飲食業」。これからキラキラした生活がまっていると思ってた。
意気投合した、友人と2人で飲食店を始め、「成功!」と思っていた。
沢山の方が「若いのに凄い!」って応援してくれた。
そして沢山の人に「絶対に失敗する」「一年以内に潰れる」と言われた。
その時は、とても悔しかったのを覚えてる、見返してやろうと強く思った。
しかし、上手くいかなかったのです。
半年後お店を閉める事になった。
上手くいかなかった原因は、以下の通り。
①飲食業の経営がないのに、参入したこと。
②初期費が掛かるビジネスを未経験
で参入したこと。
③資金調達 運転費
運転費が、掛かるビジネスなのに資金面の計算が出来てなかった。
④リサーチ 分析
顧客層や、立地の分析が出来てなかった。
⑤経営を理解していなかった。
廃業の原因を振り返ると良くお店を出せたなぁと、思いますよね(笑)
でも、いいんです!お店は閉店したけど、経験値が増えたんですから。
25歳、4回目の挑戦
そして現在に至るのだが、事業を変更し、代理店事業とIT事業で経営を続けています。
仲間にも恵まれて、従業員は3名。そして社員は女性のみ!
そして、私の今までの知識や経験を、今後起業を目指す人たちの参考になればと思い、「Money Elephant(マネファン)」を立ち上げた。
僕のような、失敗をして欲しくない。
沢山の夢みる起業家を作り出したい。
そのサポートを支援して行きたい。
私も一緒に成長して行きたい。
そんな希望に満ちた人達に、私が経験した情報を発信していき、1人でも多くの方のサポートをしていければと思います。
1年後には、同志を持った方を集め1つのコミュニティの場、オンラインサロンを展開する予定です。
詳細は準備が整い次第、公開していきます。
僕自身、まだまだ未熟な経営者ですが、皆さんと一緒に成長して行きたいと思います。
MTK社長